2011年11月20日日曜日

Occupy Wall Street 百聞は一見にしかず



11月17日、OWS運動開始2か月記念日のNYのデモの様子


日本では、Occupy Wall Street運動 (OWS) はどのように報道されているのだろうか。日本のGoogle Newsを自分のコンピューターのホームページに設定しているが、それを見る限りではたいして取り上げられていないように感じる。それが自分の勘違いなら喜んで自分の非を認めたいところだが、とりあえずは、「日本よ、世界の波に乗り遅れるな」という気持ちでこれを書いている。

アメリカ国内では、OWSに関する情報が明らかに氾濫している。加えて、矛盾する情報が多すぎることが、たくさんの人々を「傍観者」の立場に追いやっているきらいがある。

ただ、それらの情報にも幾つかの共通点がある。それらを足がかりにOWSを考えていきたいと思う。

各メディアに見られる共通点、そこから生まれる疑問

まずは、9月17日に始まったばかりのこの運動が、2カ月も経たないうちに多くの都市、そして国々に飛び火したということ。参加者も多様化してきていて、開始当初は若い白人男性が多かったというのが僕の理解だが、今では実に様々な人種、ジェンダー、年齢層、政見の人々がテレビや新聞に映っている。そして、この運動を通して何をしたいのか、その目的がはっきりとしないこと。また、最近特に目立つのは、政府との衝突が増えていることだ。

今大事なのは、これらの現象に対する「なぜ?」という問いであるように思う。そしてその答えを自分がこの運動に参加し、この目で見たことから探してみたい。


NY市長ブルームバーグの指示によって強制退去させられる前のLiberty Plaza

 OWSがこれといったリーダーもいなく、非常につかみどころのない集団だということは、事前に僕の耳にも入っていた。しかし、ちょうど1ヶ月くらい前の10月中旬、僕が初めてOccupy Wall Street運動の中心地である‘Liberty Plaza’ (正式名はZuccotti Park) を訪れた時にまず驚いたのは、そのつかみどころのなさが可能にする参加者の多様性だった。

その多様性の高さは、格差解消や1%の富裕層に対する増税を訴えている人たちが「普通」に見える程で、例えばアメリカ先住民たちの「ウォールストリートの非植民地化」(“Decolonize Wall Street”) を訴えるグループ、イラクとアフガニスタンからの軍隊の撤退を求める退役軍人のグループ、





子どもにフォーカスを当てた「公教育支援」(“Support Public Education”) や 「イノセンスのための占領」 (“Occupy for Innocence”) を訴えるグループ、





遺伝子組み換え食品に反対する 「反GMO (Genetically Modified Organisms) シェフ同盟」(“Chefs against GMO’s”)





それにホームレスや60年代からタイムスリップしてきたヒッピー達…。歩きながら思わず笑ってしまう程めちゃくちゃな集団だった。

だからといって、これをOWSのマイナス要素と思ったら大間違いだ。なぜこんなに短期間に多くの都市、国々、そして人々に飛び火したのか、という疑問の一つの答えがここにある。この運動を一番最初からカバーしてきた数少ないインディペンデントニュース番組、Democracy NowのキャスターであるAmy Goodmanは、このつかみどころのなさ、ルーズな組織の在り方こそがOWSの強みであり、世界中の様々な運動を繋げているのだと主張する。その通りだと思う。

もう一つ注目すべきは、このように異なるだけでなく時には対立する主張を唱えるグループが共存しているにもかかわらず、コミュニティーとしての様々な決定が日々行われる全体集会における合意形成を通してなされていることだ。そんなことが可能なのかと疑ってしまいたくなるが、彼らは最初からそうしてきたし、その困難な意志決定プロセスに耐える気持ちのある者たちが新たに加わってくるのだ。それぞれのグループが思い思いの主張をするだけではなく、そこには「コミュニティー」としての確かな前提がある。

ある意味、このやり方は必然だったのかもしれない。OWSに参加する者のほとんどは、自分たちの声が政治に反映されない今日のアメリカの「民主主義」の在り方に不満を抱いている人々だ。OWSに批判的な人たち、特に政治家たちは、何故彼らは政治の場で、個人の投票権を活かして自分の立場を主張しないのか、と的外れなことを言う。彼らがストリートを活動の場に選んだのは、政治の場ではもはやそれが不可能になっているからだ。


2010年、米国連邦最高裁は、Citizens United v. Federal Election Commissionという裁判で、企業は個人であり、お金はスピーチと同じと見なされるという判決を出し、以降アメリカでは企業は際限なく政治家に献金できることになってしまった。(より詳しくはこちらの記事を参照。)同時に、現在「自由の国」アメリカでは、貧しい人にとっては投票することさえ難しくなっている。2008年の大統領選でオバマが以前は選挙日に投票さえしていなかった貧困層、マイノリティー、そして学生たちから指示を得たことが最大の勝因と分析されたことを受け、共和党が複数の州で「不正投票防止」の目的で、投票手続きをより複雑でお金のかかるものにしているのだ。中には、申請にお金や時間がかかる州独自の新たな身分証明書の提示を投票所で求めたり、仕事のため時間的に制限があり投票が困難な人々のために設けられていた簡易投票所を廃止したりと、あの手この手で投票するためのハードルが上げられている。(詳しくはこちらのビデオで。)


こんな状況の中、Occupy Wall Street 運動は、多くの人にとって自分の主張や不満を表現できる唯一の場所であり、彼らにとっての民主主義の形そのものなのだ。



(続く…)

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